今回は、中小企業庁が令和4年3月に公表した「中小PMIガイドライン~中小M&Aを成功に導くために~ 概要版」(以下、この概要版を本記事では「PMIガイドライン」とします。)を基に、その概要を要約していきたいと思います。
中小企業庁が策定したこの「PMIガイドライン」は、M&A成立後の統合作業(PMI)を成功させるための具体的な指針をまとめたものです。M&Aの目的を達成するには成約後のプロセスが重要であるという認識のもと、「経営統合」「信頼関係構築」「業務統合」という三つの主要領域を網羅しています。内容は企業の規模や習熟度に合わせて「基礎編」と「発展編」に分かれており、経営資源の限られた中小企業でも段階的に取り組めるよう配慮されています。また、実務に役立つよう豊富な成功・失敗事例が掲載されており、成約前から成約後に至るまでの行動計画を時系列で整理しているのが特徴です。
はじめに:M&Aの成約は「スタートライン」に過ぎない
多くの経営者にとって、M&Aの成約(クロージング)は一つの大きな到達点でしょう。しかし、M&Aの成立はあくまで「スタートライン」です。
中小企業庁が策定した「PMIガイドライン」が強調するのは、成約そのものではなく、その後の統合プロセスによって期待した効果を現実のものにすること。この統合作業をPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)を軽視すれば、多額の資金を投じたM&Aが、組織の混乱や業績悪化を招く「失敗」に終わるリスクがあるのです。
PMIの定義となぜ今重要なのか?
PMIとは
PMIは既に記したとおり、「POST MERGER INTEGRATION」の略であり、M&A成立後の「統合作業」を指します。譲受側と譲渡側が一体となり、M&Aの目的を実現し、相乗効果(シナジー)を最大化させるための不可欠なプロセスです。
PMIの不備が招く「期待外れ」の現実
「PMIガイドライン」P2では、中小M&Aで結果が「期待を下回った」理由について、外部機関による調査結果が掲載されています。そこでは、その理由の多くが、下記のようなPMIの失敗に直結していることが明確になっています。
- 相乗効果が出なかった(44.7%)
- 相手先の経営組織体制が脆弱だった(36.8%)
- 相手先の従業員に不満があった(28.9%)
- 企業文化風土の融合が難しかった(22.8%)
勝敗を決めるのは「プレPMI」の有無
「PMIガイドライン」P2においては、さらに、PMI検討開始時期とM&Aの満足度(当初の期待とその結果の度合い)についての外部機関による調査結果も掲載されています。
この調査結果によると、M&Aプロセス中に検討を開始した企業の83.0%が「満足(ほぼ期待どおり)」と回答しているのに対し、成約後に検討を始めた企業ではその割合が33.0%にまで激減します。このことは、M&A交渉段階からPMIを見据える「プレPMI」こそが成功の分水嶺と言えるのではないでしょうか。
ガイドラインの全体像:2つのフェーズと3つの領域
PMIガイドラインは、リソースの限られた中小企業でも実践できるよう、2段階のステップを用意しています(P1参照)。
- 基礎編: 小規模案件を含む全てのM&Aが対象。円滑な事業引継ぎを目的とした「土台作り」
- 発展編: 中大規模案件や成長志向の案件が対象。シナジー効果の創出を目指す「高度な統合」
また、取り組むべき領域は、以下の3つの領域に整理されています。
- 業務統合: 事業の円滑な引継ぎと、管理機能の改善・攻め(シナジー効果発現等)。
- 経営統合: 向かう方向性の確立(理念やビジョンの再構築)、経営体制の整備。
- 信頼関係構築: 関係者(譲渡側経営者・従業員・取引先)との信頼醸成。
【基礎編】全てのM&Aにおける土台作り:魔の「最初の100日」を乗り切る
成約直後の最初の100日間は「信頼関係構築のゴールデンアワー」です。ここで不信感を生むと、その後の修復は極めて困難になります。特に、譲受側においては、取組むべきポイントが重要となります。
【基礎編】では、主に譲受側の売上高が3億円以下、譲渡側の売上高が1億円以下といった小規模案件において、最低限取り組むべき事項がまとめられています。
信頼関係構築の失敗が招く「PMIの崩壊」ワースト事例(人の問題)
この最低限取り組むべき事項の内容ですが、それは、端的に言うと、失敗例、PMIの不備に起因するものと直結する内容となっています。なので、まずは、「PMIガイドライン」の掲載されている「不適切なPMIに起因する失敗事例」を見ていきたいと思います。
譲渡側経営者への対応に関する失敗事例(リスペクトと合意の欠如)
譲渡側の経営者との信頼関係構築や、役割の引き継ぎがうまくいかなかったケースです。
- 過去の否定による関係悪化: 譲受側が譲渡側の過去の取組や業績に対して否定的な発言や態度を示したことで、関係が悪化し、十分な協力が得られなくなった。
- 重要な取引先に関する配慮不足: 譲渡側経営者が思い入れの強い取引先を見直す予定であることを事前に伝えていなかったため、衝突が生じ、その後の協力関係に軋轢が生じた。
- 在籍期間の未合意による改革への抵抗: 引継ぎのための在籍期間を事前に定めていなかったため、譲渡側経営者の影響力が長期にわたって残り、新しい改革の抵抗勢力となってしまった。
譲渡側従業員への対応に関する失敗事例(不安の増幅と文化の衝突)
従業員の不安解消や、企業文化の融合が不十分だったことで生じたケースです。
- 情報漏洩による不安と離職: 正式な説明前に噂が広まり、処遇や雇用への不安から多くの従業員が離職した。
- M&Aの目的が伝わらないことによる意欲低下: 従業員がメリットを理解できず、業務変更による負担増ばかりを感じた結果、モチベーションと作業効率が低下した。
- 譲受側のルールの強要: 直後から譲受側の「当たり前」を次々に導入した結果、現場の協力を得られず、事業運営そのものが困難になった。
- 経営の方向性の欠如: 進むべき方向を明確に示さなかったことで、将来不安から離職やサボタージュを招いた。
- 譲渡側の過去の否定: 提示した方針がこれまでの歩みを否定する内容だったため、従業員からの信頼を失った。
PMI失敗の8割は「人」が原因?ガイドラインから学ぶ、信頼を失わないための守りの経営
譲渡側の従業員は、前記の失敗事例のとおり、雇用や処遇への強い不安を抱えています。また、目に見えない経営資源(信頼・ノウハウ・経緯)を円滑に引き継ぎ、事業の崩壊(離職や取引停止)を防ぐため、譲渡側経営者の協力は、マスト事項です。このため、信頼関係構築のため、以下の取組みが譲受側に求められます。
従業員の「不安ウイルス」を封じ込める徹底情報開示
- M&Aに関する情報を譲渡側従業員に遅滞なく、全員に伝える: 噂が広まる前に「トップメッセージ」を直接届ける。
- M&Aに関する情報を譲渡側従業員に等しく、正確に伝える: 一部の人間だけが知っている状況を排除し、疎外感を防ぐ。
M&Aの目的を理解させないまま譲受側の「当たり前」を強要すると、現場の協力が得られず事業運営が困難になります。
また、譲受側経営者は成約後100日以内に、新会社のビジョンと言語化された「経営の方向性」を譲渡側従業員に示す必要があると思います。沈黙は不安定と解釈され得る可能性もあり、綿密なコミニュケーションを意識することが必要です。
現場の心を掴むアクション
- 譲渡側経営者への敬意を形にする: 創業者の功績を尊重する姿勢を見せることで、従業員や取引先からの信頼が得やすくなります。
- 譲渡側の従来のやり方を即座に否定しない: 現場には長年培ったプライドがあります。まずは「観察」と「尊重」から入ること。
譲渡側経営者は、引継ぎ期間における最大の「協力者」です。過去への敬意を欠いた態度は、経営資源であるノウハウの承継を阻害することを肝に銘じておいた方がよいと思います。
取引先との関係:信頼の喪失と情報の断絶。M&A後の「取引停止」を食い止める。
取引先への対応の失敗例
「PMIガイドライン」P12では、取引先への対応の失敗例として、以下のように、主要取引先に対してM&A成立前の事前説明や相談を怠ったことにより、複数の主要 取引先の不信感を招き、取引を縮小されたり、取引を停止された事例が紹介されています。
- 主要取引先に対してM&A成立前の事前説明や相談を怠ったことにより、複数の主要 取引先の不信感を招き、取引を縮小されたり、取引を停止されたりした。
- 譲渡側経営者が譲渡側を経営しているからこそ取引してもらっていた取引先について、 M&A成立後に少しずつ疎遠になり、半年後取引を停止された。
- 取引先別の損益で赤字となっている取引先について、その取引条件を改善しようとした が、過去の交渉状況や口頭での約束等、これまでの経緯を譲渡側経営者から聞いてい なかったため、交渉が難航した。
- 誰がどの取引先の対応をしているかを把握していなかった結果、一部の従業員の退職に伴い、重要な取引先を喪失してしまった。
- 譲渡側経営者の配偶者などが支払業務を一手に担っていた場合、その退職によって取引先への支払が滞り、信用を失墜させてしまった。
取引先との良好な関係は、譲り受けた事業の「強みの源泉」
取引先との良好な関係は、譲り受けた事業の「強みの源泉」そのものであることが多く、これを維持することがPMIの基礎となります。取引先との取引が停止・縮小した場合、事業の継続そのものが危ぶまれるだけでなく、譲受側が期待していたM&Aの効果が著しく損なわれるリスクがあります。譲渡側の取引先と信頼関係を構築することは、このように、「事業の継続性を確保し、M&Aによる損失を防ぐため」のマスト事項になります。
総じて、取引先との信頼関係を築くことは、単なるマナーではなく、以下の視点に基づく、譲り受けた事業の価値を毀損させないための「守り」の重要戦略であると言えます。
- シナジー創出の土台: 発展的な取組(売上拡大など)に進むためには、まず現在の取引先から信頼を得て、基盤を固めることが前提となります。
- 成長機会の消滅: 業務統合の「攻め」として期待されるクロスセルや販売チャネルの拡大は、既存の取引先との安定した関係が土台となります。取引が停止すれば、これらの相乗効果(シナジー)は一切実現不可となります。
失敗事例が教える取引停止の回避策、M&A成立後では遅い!
まず、基本的な対応、取組みは、以下のとおりです。
- プレPMI(成立前)から主要な取引先を把握し、挨拶のスケジュールを練る。
- 譲渡側経営者へのリスペクトを忘れず、協力体制を築いて一緒に挨拶へ出向く。
- 主要取引先へは、事前説明は徹底すること。M&Aに関する節女吏
- その他の取引先への対応: 主要取引先と同様に、状況に応じて説明とコミュニケーションを実施する。
さらに、「業務統合」の領域と被る内容になりますが、「目に見えない情報」の承継をしっかり行うことです。すなわち、 デューデリジェンス(DD)では見えてこない属人化した業務、取引先との過去の交渉経緯、口頭での約束などを正確に引き継ぐため、譲渡側経営者からの申し送り、証言をが不可欠です。
このように、ステークホルダーとの信頼維持するには、重複しますが、譲渡側経営者の適切な「橋渡し」が必要となります
チェンジオブコントロール条項(COC条項)精査の必要性
PMIガイドラインでは、「チェンジオブコントロール条項(COC条項)」という言葉や、それに直接明示的に関連付けられた論点についての記述はありません 。
しかし、PMガイドラインが指摘する「取引先への対応における失敗事例や注意点」を踏まえると、実務上、チェンジオブコントロール条項(COC条項)との関連において非常に重要な論点(リスクや対策)が浮かび上がってきます。
COC条項が存在した場合の契約解除のリスク
COC条項とは、企業の経営権や株主が変更された(チェンジオブコントロールが発生した)場合に、契約相手が契約を解除できる、あるいは事前の通知や承諾を義務付ける契約上の条項のことです。
PMIガイドラインの取引先対応での失敗事例を踏まえると、もし、主要取引先との契約に「COC条項」が含まれていた場合、事前説明を怠ることは単なる「感情的な不信感」にとどまらず、「契約違反による即時解約」という法的な致命傷になり得ます。
また、取引先との信頼関係を維持しつつ、COC条項に基づく承諾を得るためには、M&A成立(クロージング)前のどのタイミングで、譲渡側経営者と一緒にどのように説明へ出向くかという「プレPMI」からの緻密なスケジュール調整が論点となります 。
法務DDにおいて、COC条項の有無を必ず確認する
ただでさえ、時間的、予算的、人的な制約から、DD(デュー・ディリジェンス)を完璧に行うことは難しい。ましてやは、人的、経営資源的なリソースが限られた中小等企業においては、なおさらです。
しかし、譲渡側企業と取引先との間の契約が譲渡側企業にとって重要なものである場合、例えば、譲渡側企業が取引先からライセンスインを受けている場合(いわゆる、ライセンス契約)、当該契約がCOC条項によりライセンス契約が解除された場合、譲渡側の事業の価値が大きく毀損、事業の継続性が失われる大きなリスクが生じます。
このため、可能な限り、法務DDにおいて、COC条項の有無を確認すべきだと思います。また、ライセンス契約などあれば、その条件についての精査も必要だと思います。
これは、前述したとおり、「譲り受けた事業の価値を毀損させないための『守り』の重要戦略」であると言えます。
チェンジオブコントロール条項のクリア(取引先からの同意獲得)への道のり
通常、DDにおいて、COC条項が判明した場合、譲受側企業は譲渡側企業(売主、オーナー)に対し、「COCの相手側(取引先)から、M&Aの実行をもって該当契約を解除しないこと」の書面による同意を取得することの努力義務や当該書面の取得をクロージングまでの「誓約事項」、「クロージングの前提条件」として、盛り込み、同意の獲得を図っていきます。
しかし、前述のとおり、取引先が譲渡側経営者(売主、オーナー)が経営しているからこそ取引していた場合、取引先が譲受側企業と競合関係にある場合、取引先が現行の契約条件に元々不満があった場合などは、取引先が同意を拒否したり、交渉が難航(不利な条件を飲まされるなど)したりする場合もあり得ます。
このような状況になると、無理にCOC条項の同意を得ようとすると、取引先から値上げを求められたり、最悪の場合、クロージング後に契約を解除され、当初求めていた相乗効果が半減又は得られないという事態もあり得ます。
なので、このような「道のり」に入らないよう、M&Aの準備段階(DDの段階)で、きっちりと、取引先と譲渡側企業との契約(重要なものに限る)が承継されるか(同意が得られるか)、詰めておく必要があるかと思います。
DDの段階で、PMI上の課題まで精査するのか、時間的、予算的、人的に効率よく実施できるかは、別の問題になるかと思いますが、ライセンス契約によるライセンスインが譲渡側企業の事業価値に占める大きなファクターになっていれば、それは、マスト事項になるかと思います。
