2026年(令和8年)5月25日より「事業性融資の推進等に関する法律(以下、事業性融資推進法)」が施行され、新たな担保制度である「企業価値担保権」が創設されました。これに伴い、厚生労働省は「事業譲渡又は合併を行うに当たって会社等が留意すべき事項に関する指針(事業譲渡等指針)」を改正しています。
今回の改正の核心は、不動産担保や経営者保証に依存しない「事業の将来性」に着目した融資を促進しつつ、債務不履行時における労働者の保護をこれまで以上に手厚くすることにあります。企業価値担保権が実行される際は、事業を解体せず「雇用を維持しつつ承継する」ことが原則とされ、裁判所から選任される管財人には、労働者を含む利害関係人全体に対する重い善管注意義務が課されることになりました。本記事は、この新制度下における企業の留意事項、管財人の役割、および労働者保護の枠組みについて詳述させていただきます。
組織再編・事業再編に伴う労働契約承継の比較
現行、組織再編(会社法上の組織変更、事業譲渡、合併、会社分割等)に伴う労使関係(主には、労働契約の承継等)に係る法制度については、民法第625条、商法、会社法、民事再生法、会社更生法、破産法の各条に規定されているほか、会社分割に際しての労働者保護を目的として「会社分割に伴う労働契約の承継等に関する法律(平成12年法律第103号)」(以下、「労働承継法」)が制定されています。
また、いわゆるガイドラインとして、事業譲渡又は合併時の労働者保護のため、前記の「事業譲渡又は合併を行うに当たって会社等が留意すべき事項に関する指針すべき事項」(平成28年厚生労働省告示第318号)、また、労働承継法に下位に位置する「分割会社及び承継会社等が講ずべき当該分割会社が締結している労働契約及び労働協約の承継に関する措置の適切な実施を図るための指針」(平成12年労働省告示第127号、最終改正令和3年3月19日)等があります。
この組織再編の類型により、労働契約の承継性質や保護ルールは異なります(下表参照)。
今回は、上記のうち、「事業譲渡又は合併を行うに当たって会社等が留意すべき事項に関する指針すべき事項」(平成28年厚生労働省告示第318号)の改正が行われました。
| 類型 | 権利義務の承継性質 | 労働契約(雇用)の取扱い・承継ルール | 労働者の同意・保護手続き | 団体交渉義務等 |
| 合併(吸収合併・新設合併) | 包括承継 | 消滅会社の権利義務が丸ごと存続会社(または新設会社)に引き継がれるため、労働契約も自動的にそのまま承継されます。 | 原則として個々の労働者の同意は不要です。労働条件も原則としてそのまま維持されます。 | 吸収合併では、存続会社に事前団交義務が発生する場合がある。 |
| 会社分割(吸収分割・新設分割) | 包括承継(組織法上の承継) | 「労働契約承継法」に基づき、分割される事業に主として従事する労働者の契約は、原則として新しい会社に承継されます。 | 個別の同意は不要ですが、事前の書面通知や労使協議、異議申立手続きなど、法律に基づく厳格な法定手続きが義務付けられています。 | 労働組合との7条措置(労働承継法7条)、労働者との5条協議(商法改正法附則5条)の定めがある。また、承継会社は会社分割に事前団交応諾義務が発生する場合がある。 |
| 通常の事業譲渡 | 特定承継 | 契約によって指定された資産や権利を個別に移転させるため、労働契約を新しい会社に移転させるには原則として「譲渡会社」「譲受会社」「労働者」の3者間合意が必要です。 | 労働者個人の承諾(同意)が必須です。承諾の実質性を担保し、円滑な実施を図るために「事業譲渡等指針」が定められており、丁寧な説明や協議が求められます。 | 譲受会社は事前団交義務が発生する場合がある。 |
| 類型 | 権利義務の承継性質 | 労働契約(雇用)の取扱い・承継ルール |
| 合併(吸収合併・新設合併) | 包括承継 | 消滅会社の権利義務が丸ごと存続会社(または新設会社)に引き継がれるため、労働契約も自動的にそのまま承継されます。 |
| 会社分割(吸収分割・新設分割) | 包括承継(組織法上の承継) | 「労働契約承継法」に基づき、分割される事業に主として従事する労働者の契約は、原則として新しい会社に承継されます。 |
| 通常の事業譲渡 | 特定承継 | 契約によって指定された資産や権利を個別に移転させるため、労働契約を新しい会社に移転させるには原則として「譲渡会社」「譲受会社」「労働者」の3者間合意が必要です。 |
| 類型 | 労働者の同意・保護手続き | 団体交渉義務等 |
| 合併(吸収合併・新設合併) | 原則として個々の労働者の同意は不要です。労働条件も原則としてそのまま維持されます。 | 吸収合併では、存続会社に事前団交義務が発生する場合がある。 |
| 会社分割(吸収分割・新設分割) | 個別の同意は不要ですが、事前の書面通知や労使協議、異議申立手続きなど、法律に基づく厳格な法定手続きが義務付けられています。 | 労働組合との7条措置(労働承継法7条)、労働者との5条協議(商法改正法附則5条)の定めがある。また、承継会社は会社分割に事前団交応諾義務が発生する場合がある。 |
| 通常の事業譲渡 | 労働者個人の承諾(同意)が必須です。承諾の実質性を担保し、円滑な実施を図るために「事業譲渡等指針」が定められており、丁寧な説明や協議が求められます。 | 譲受会社は事前団交義務が発生する場合がある。 |
改正の主要ポイント:企業価値担保権「設定時」の対応
企業価値担保権の設定そのものによって、雇用主や労働条件が直ちに変更されることはありませんが、改正指針では以下の事項が会社に求められています。
- 金融機関の使用者性: 金融機関や信託会社が、労働条件を現実的・具体的に支配・決定する地位にある場合、労働組合法上の「使用者」としての責任(団体交渉応諾義務等)を負う可能性があります。
- 労働者との意見交換: 会社は、置かれている環境や経営課題、資金調達の目的について、状況に応じて労働者と意見交換を行い、労働組合等への情報提供を促進することが望ましいとされています。
改正の主要ポイント:事業譲渡の際、労働者の雇用や権利はどのように守られるか?
事業譲渡の際、労働者の雇用や権利は、主に「労働契約の承継における承諾の必要性」「情報提供と協議」「不当な解雇の禁止」といったルールによって守られています。加えて、企業価値担保権の下での事業譲渡では、さらなる保護措置が講じられています。
| 類型 | 権利義務の承継性質 | 労働契約(雇用)の取扱い・承継ルール | 労働者の同意・保護手続き | 団体交渉義務等 |
| 企業価値担保権の実行による事業譲渡(新制度) | 特定承継(管財人による換価) | 債務不履行時に裁判所が選任した「管財人」が主導します。通常の倒産・譲渡と異なり、**「事業を解体せず雇用を維持しつつ承継することが原則」**とされています。 | 新たに改正された「事業譲渡等指針」に基づき、管財人は単に売却額だけでなく雇用の維持等を考慮して最も適切な承継先を選定します。また、労働者への誠実な情報提供や説明・協議が義務付けられています。 | 雇用主以外の事業主(譲受会社、担保権者である金融機関、信託会社など)であっても、以下の要件を満たす場合には、労働組合法上の「使用者」として団体交渉の相手方となる可能性がある。 |
| 類型 | 権利義務の承継性質 | 労働契約(雇用)の取扱い・承継ルール | 労働者の同意・保護手続き | 団体交渉義務等 |
| 企業価値担保権の実行による事業譲渡(新制度) | 特定承継(管財人による換価) | 債務不履行時に裁判所が選任した「管財人」が主導します。通常の倒産・譲渡と異なり、**「事業を解体せず雇用を維持しつつ承継することが原則」**とされています。 | 新たに改正された「事業譲渡等指針」に基づき、管財人は単に売却額だけでなく雇用の維持等を考慮して最も適切な承継先を選定します。また、労働者への誠実な情報提供や説明・協議が義務付けられています。 | 雇用主以外の事業主(譲受会社、担保権者である金融機関、信託会社など)であっても、以下の要件を満たす場合には、労働組合法上の「使用者」として団体交渉の相手方となる可能性がある。 |
労働契約承継への個別の承諾
事業譲渡は「特定承継」という性質を持つため、会社が労働契約を譲受会社に引き継がせるには、労働者本人の個別の承諾(民法第625条第1項に基づく)を得る必要があります。労働者の同意なく、勝手に雇用主を変えることはできません。
十分な情報提供と協議
会社は、労働者が「真意による承諾」を判断できるよう、以下の事項について十分に説明し、協議を行うことが求められます。
- 事業譲渡の全体状況(債務履行の見込みなど)。
- 譲受会社の概要や労働条件(業務内容、就業場所、就業形態など)。
- 労働条件を変更して承継させる場合は、その変更内容への同意も必要です。
- 意図的に虚偽の情報を提供して承諾を得た場合、その意思表示は取り消される可能性があります。
解雇の制限
労働者の雇用を守るため、安易な解雇は認められません。
- 承諾しないことのみを理由とした解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、権利濫用として無効となります。
- 事業譲渡そのものを理由とした解雇についても、整理解雇の判例法理が適用されます。
- 会社は、配置転換などで雇用を維持するための措置を講じる必要があります。
労働組合との関係
会社は、労働者の過半数で組織する労働組合(ない場合は労働者の過半数代表者)と協議し、理解と協力を得るよう努めるべきとされています。事業譲渡に伴う労働条件などは団体交渉の対象となり、会社は誠実に応じる義務があります。
なお、雇用主以外の事業主(譲受会社、担保権者である金融機関、信託会社など)であっても、以下の要件を満たす場合には、労働組合法上の「使用者」として団体交渉の相手方となる可能性があります。
- 雇用可能性が現実的な場合: 団体交渉の申入れ時点から「近接した時期」に、組合員を「引き続き雇用する可能性が現実的かつ具体的に存する」場合(譲受会社などが該当し得ます)
- 支配・決定権がある場合: 労働者の基本的な労働条件等について、雇用主と部分的とはいえ同視できる程度に、現実的かつ具体的に支配・決定できる地位にある場合。
企業価値担保権における手厚い保護
令和8年(2026年)5月25日から適用される新しい「企業価値担保権」による事業譲渡では、特に以下の点が強化されています。
- 事業の解体防止と雇用維持の原則: 担保権の実行にあたっては、事業を解体せず、雇用を維持しつつ承継することが原則とされています。
- 賃金の優先支払い: 労働者の賃金や退職金などの労働債権は、銀行などの担保権者よりも優先的に弁済されます。
- 管財人の責任: 裁判所が選任する管財人は、労働者を含む利害関係人に対して「善良な管理者の注意義務」を負います。管財人が不適切な選定を行った場合、労働者や労働組合は裁判所に管財人の解任を請求したり、損害賠償を求めたりすることができます。
- 管財人による情報提供: 管財人は、労働者が権利を行使するために必要な情報を、労働組合や個々の労働者に提供するよう努める必要があります。
管財人の義務と労働者に対して負う義務
企業価値担保権が実行される際、裁判所から選任される管財人は、従来の経営者に代わって事業の経営や財産の管理・換価を行う重要な役割を担います。労働者に対しては、単なる管理義務を超えた手厚い保護義務を負っています。
管財人の主な役割
- 事業の管理および換価: 企業価値担保権の実行開始決定と同時に裁判所によって選任され、債務者の事業の経営および財産を管理し、事業を買い受けるスポンサー(買受人)を探索して換価(売却)の手続きを進めます。
- 最も適切な承継先の選定: 事業譲渡を行う際、管財人は譲渡金額の多寡のみを問題にするのではなく、雇用の維持や取引関係の維持、その他多様な事情を考慮して、最も適切な承継先を選定することが求められます。
- 労働組合法上の「使用者」としての地位: 管財人は労働組合法上の使用者の地位を承継すると解されており、労働組合からの団体交渉に応じる義務があります。
労働者に対して負う義務
- 善良な管理者の注意義務(善管注意義務): 管財人は、担保権者(銀行など)のためだけでなく、労働者も含めた利害関係人全体に対して、善良な管理者の注意をもって職務を行う義務を負います。
- 情報の提供義務: 労働者や労働組合が、団体交渉権や賃金債権などの権利を適切に行使するために必要な情報を提供するよう努めなければなりません。提供すべき情報には、実行手続きの状況や、買受人選定にあたっての原則、労働条件への影響などが含まれます。
- 誠実な協議・交渉義務: 事業譲渡を行うにあたり、労働者や労働組合等との間で事前の協議等を行うことが適当とされています。また、団体交渉の申し入れがあった場合には、誠意をもって交渉に当たらなければなりません。
- 労働関係法令の遵守: 職務の遂行にあたっては、当然ながら労働基準法などの労働関係法令を遵守することが求められます。
義務に違反した場合の責任
管財人がこれらの義務を怠ったり、労働者の保護という見地から不適当な対応を行ったりした場合には、労働者等は、以下の対抗手段をとることが可能です。
- 解任の請求: 買受人の選定が労働者保護の観点から不適当である場合など、管財人が適切に職務を行っていないときは、労働者や労働組合は裁判所に管財人の解任を請求できます。
- 損害賠償責任: 管財人が善管注意義務に違反して労働者に損害を与えた場合、その管財人は労働者等の利害関係人に対して損害を賠償する義務を負います。
今後の課題
合併や事業譲渡をはじめとする企業組織の再編に伴う労働者保護に関する諸問題について、国会での附帯決議(衆・参)において「その実態把握を行うとともに、速やかに検討を進めること」とされています。
従って、今後は、上記の実態把握や検討の結果に基づき、必要があると認められるときは、その結果に応じて「法制上の措置を含め、必要な措置を講ずるものとすること」とされており、今後の運用状況や実態に応じたさらなる法整備やルール見直しが課題として位置づけられています。
