退職金全額不支給処分の取消訴訟(最高裁判決)

(photo by AC)

 本件は、最高裁(最一小判令和7年4月17日)が、運賃の着服等を理由とする懲戒処分を受け、退職金が全額不支給とされた京都市バスの元運転手が、懲戒免職処分と退職金全額不支給とする処分の取消しを求める取消訴訟(行政事件訴訟法3条2項)を提起した事案に、京都市の処分は適法とする判決を下した事案です。

目次

事件の概要

 この元バス運転手は、平成5年3月頃、京都市交通局職員として採用され、同年4月から市が経営する自動車運送事業のバス運転手として、約29年勤務。その間、一般服務や公金等の取扱いを理由とする懲戒処分を受けたことがない方です。

 懲戒事由に該当することとなった直接的要因たる事実は、以下の2点です。
〇令和4年2月11日の勤務中、乗客から5人分の運賃(合計1150円)の支払を受けた際、その一部を売上金として処理せずに着服した。
〇市交通局は、バス車内での電子たばこの使用を禁止しているが、被上告人は、令和4年2月11日、12日、16日及び17日、乗客のいない停車中のバスの運転席で、合計5回、電子たばこを使用した(喫煙類似行為)。
 経過としては、
〇令和4年2月18日、バスのドライブレコーダー点検により、本件非違行為が発覚。元運転手は、上司との面談で喫煙類似行為は認めたが、着服については、当初否定し、上司からの指摘を受けて認めるに至った(不誠実)。
〇市は令和4年3月12日、これら非違行為を理由として懲戒処分をし、退職手当支給規程に基づき退職手当(約1,200万円)を不支給とした。

 なお、当該退職手当支給規程による退職金支給制限規定の内容は、以下のとおりです(判決文より抜粋、また、マーカー部分は、筆者が追記)。

 京都市公営企業に従事する企業職員の給与の種類及び基準に関する条例(昭和28年京都市条例第5号)14条は、6月以上勤務した職員が退職した場合は、退職手当を支給するが、不都合な行為のあった場合は退職手当を支給しないことがある旨を規定する。
 本件規定は、退職をした者(以下「退職者」という。)が懲戒免職処分を受けて退職をした者に該当するときは、管理者は、当該退職者に対し、当該退職者が占めていた職の職務及び責任、当該退職者の勤務の状況、当該退職者が行った非違の内容及び程度、当該非違に至った経緯、当該非違後における当該退職者の言動、非違が公務の遂行に及ぼす支障の程度並びに当該非違が公務に対する信頼に及ぼす影響を勘案して、当該退職に係る一般の退職手当等の全部又は一部を支給しないこととする処分(以下「退職手当支給制限処分」という。)を行うことができる旨を規定する。

判決のポイント

原審(大阪高裁)の判断

 懲戒免職処分は適法であるとして、その取消請求を棄却すべきものとした上で、退職金全額不支給については、次のような理由で、元バス運転手の取消請求を認容(認めること)しています。

 被上告人(元バス運転手、筆者が注釈。以下同じ。)の職務内容は民間の同種の事業におけるものと異ならないこと、本件非違行為によって、実際にバスの運行等に支障が生じ、又は公務に対する信頼が害されたとは認められないこと、本件着服行為による被害金額は1000円にとどまり、被害弁償もされていること、被上告人の在職期間は29年に及び、一般の退職手当等の額は1211万円余りであったこと、被上告人には、本件非違行為以外に一般服務や公金等の取扱いに関する非違行為はみられないこと等をしんしゃくすると、本件全部支給制限処分(全額不支給のこと。筆者において注釈)は、非違行為の程度及び内容に比して酷に過ぎるものといわざるを得ず、社会観念上著しく妥当性を欠いて裁量権の範囲を逸脱したものとして違法である(判決文より抜粋)。

最高裁の判断

 まず、最高裁の判断基準ですが、「懲戒免職処分を受けた退職者の一般の退職手当等について、退職手当支給制限処分をするか否か、これをするとした場合にどの程度支給しないこととするかの判断を管理者の裁量に委ねているものと解され、その判断は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したと認められる場合に、違法となるものというべきである(最高裁令和4年(行ヒ)第274号同5年6月27日第三小法廷判決・民集77巻5号1049頁参照)」(判決文より抜粋、マーカー部分は筆者が追記)という枠組みで判断しています。

 上記のマーカー部分ですが、これは、酒気帯び運転を理由に懲戒処分となった地方公務員(公立学校教員)に対する退職手当全額支給制限処分について、「社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したものとはいえない」として適法とした最高裁判決のことです(裁三小判令和5年6月27日労経速2528号3頁)。

 そして、「裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用」とは、行政事件訴訟法第30条の「行政庁の裁量処分については、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合に限り、裁判所は、その処分を取り消すことができる。」というところから立脚しています。
 すなわち、裁判所の基本的なスタンスは、ⅰ)行政庁が裁量行使した処分などが争われた場合、裁判所は原則としてその裁量を尊重、ⅱ)その時点の法令の意味(=解釈)と事実認定により裁量判断が妥当かどうかを、審査するということです。
 難しい言い方をしましたが、要は、元バス運転手で公務員であったこと、そして、本件は冒頭で記したように、行政事件訴訟法によるものなので、同法の枠組みの中で判断するということです。したがって、審理の対象となるのは、広い裁量権が認められている行政庁の裁量が適法であったかということになります。

 そして、最高裁では、元バス運転手の本件着服行為等について、次のように判示しています(判決文より、一部、筆者において、加工)。
〇本件着服行為は、公務の遂行中に職務上取り扱う公金を着服したというものであって、それ自体、重大な非違行為である。
〇バスの運転手は、乗客から直接運賃を受領し得る立場にある上、通常1人で乗務することから、その職務の性質上運賃の適正な取扱いが強く要請される。そうすると、本件着服行為は、上告人(京都市)が経営する自動車運送事業の運営の適正を害するのみならず、同事業に対する信頼を大きく損なうものということができる。
〇本件喫煙類似行為についてみると、被上告人(元バス運転手)は、バスの運転手として乗務の際に、1週間に5回も電子たばこを使用したというのであるから、勤務の状況が良好でないことを示す事情として評価されてもやむを得ないものである。
〇本件非違行為に至った経緯に特段酌むべき事情はなく、被上告人(同)は、それらが発覚した後の上司との面談の際にも、当初は本件着服行為を否認しようとするなど、その態度が誠実なものであったということはできない。
〇以上のことを踏まえると、本件着服行為の被害金額が1000円でありその被害弁償が行われていることや、被上告人が約29年にわたり勤続し、その間、一般服務や公金等の取扱いを理由とする懲戒処分を受けたことがないこと等をしんしゃくしても、本件全部支給制限処分に係る本件管理者の判断が、社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したものということはできない。

 そして、最終的な判断(論拠)として、「本件全部支給制限処分が裁量権の範囲を逸脱した違法なものであるとした原審の判断には、退職手当支給制限処分に係る管理者の裁量権に関する法令の解釈適用を誤った違法があるというべきである。」としています。ここでいう「法令」とは、恐らく、行政事件訴訟法のことだと思います。
 ここが、民間における会社と労働者との間での退職金全額又は一部不支給事案との大きな違い(枠組みのベースが異なる)だと思料します。すなわち、本件については、行政庁の裁量の是非について審理することが軸足にあるという点です。この場合、この元バス運転手は京都市との関係では、原則、特別権力関係にあるため、京都市(行政庁)との関係では、50対50の関係にはありません(特に、今回のような懲戒事由案件は)。
 なお、大阪高裁においても、この点につき、「被上告人の職務内容は民間の同種の事業におけるものと異ならないこと」としているところから、その裏を返せば、”公務員だけど”、”行政庁の裁量権はあるけど”という意識はあったのだと思います。

懲戒解雇等と退職金の不支給・減額に関する裁判例と学説

全額不支給・減額条項の適用の有効性も問題

 行政庁の裁量の是非を問うという前提ではない、民間の事業会社と労働者との間における退職金の不支給、減額について、まず、退職金規程中に、労働者が懲戒解雇され又は懲戒解雇事由が存するときには退職金の全額不支給ないし一部減額を定める条項がある場合、労基法第24条第1項(賃金の全額支払の原則)及び労基法第16条(賠償予定の禁止)の規定との関係で、当該条項適用の有効性が問題となります。

 この点について、有力学説等は、退職金の功労報償的性格以上に賃金後払い性格に重きを置き、当該条項を有効に適用できるのは、労働者のそれまでの勤続の功労を全て抹消(全額不支給の場合)ないし減殺(一部不支給の場合)してしまうほどの著しく信義に反する行為があった場合に限定するべきという考え方をとり、実務・裁判例もそれに沿う傾向になっているようです。 

主な裁判例(全額不支給等を認めなかった判例)

 全額不支給を認めなかった主な裁判例としては、以下のようなものがあげられます(「新労働事件実務マニュアル第6版」(東京弁護士会労働法制特別委員会編著、ぎょうせい)P111)。
〇懲戒解雇を相当としつつ、退職金において3割の支払いを命じた裁判例(小田急電鉄事件:東京高判平成15年12月11日労判867号5頁)
〇退職金の不支給規定の適用を認めつつ、退職金について3割の支払を命じた裁判例(NTT東日本事件:東京高判平成24年9月28日労判1063号20頁)
〇退職金の全額を失わせるに足りる懲戒解雇の理由とは、労働者に永年の勤労の功を抹消してしまうほどの不信があったことを要し、労働基準法第20条ただし書きの即時解雇の事由より厳格に解するべきであるとして、所定退職金の6割を超えて減額することは許されないとした裁判例(橋元運輸事件:名古屋地判昭和47年4月28日判時680号88頁)
〇懲戒解雇事由があるとして退職金不支給規定の適用を認めつつ、所定退職金額の5割5分の支払いを命じた裁判例(東京貨物社(解雇・退職金)事件:東京地判平成15年5月6日労判857号64頁)

主な裁判例(全額不支給等を認めた判例)

 一方、有力学説や実務・裁判例を見直す動きもあります。以下のとおりです(「新労働事件実務マニュアル第6版」(東京弁護士会労働法制特別委員会編著、ぎょうせい)P282、283)。
〇懲戒解雇が有効であることを基礎づける事実に照らすと、他に特段の事由が存在しない限り、それまでの勤続の功を抹消してしまうほどの著しく信義に反する行為があったものと認めるのが相当で、その評価障害事実の立証ができていないとして退職金請求を棄却した裁判例(日音(退職金)事件:東京地判平成18年1月25日労判912号63頁)
〇金員の不正受給を理由とする懲戒解雇は有効であるとして、未払い賃金・退職金が斥けられた裁判例(日本郵便事件;大阪地判令和2年1月31日労働判例ジャーナル97号10頁)
〇情報漏洩を理由とする懲戒解雇及び退職金の全額不支給が有効とされた裁判例(みずほ銀行事件:東京高判令和3年2月24日労判1254号57頁)
〇各種手当を不正受給し、入居資格がないのに借上住宅に居住し続けている等として、懲戒解雇された者に対する退職金不支給規程に基づく不支給について、3年以上の期間において、雇用関係を継続していく前提となる信頼関係を回復困難な程に毀損する背信行為を複数回にわたり行い、会社に400万円を超える損害を生じさせるなどしたものであって、それまでの長年の勤務の功を抹消ないし大きく毀損してしまう著しく信義に反する行為に当たるといわざるを得ず、全額不支給とすることに合理性があるとした裁判例(KDDI事件:東京高判平成30年11月8日D1-Low判例体系28265127)

 上記のうち、みずほ銀行事件及びKDDI事件は共に、第一審では、全額不支給を認めなかったものを、控訴審において、全額不支給を適法と判断したした判例です。
 特に、みずほ銀行事件の控訴審では、「懲戒処分を受けた者に対する退職金の支給、不支給については使用者の合理的な裁量に委ねられており、懲戒処分のうち懲戒解雇を受けた者については原則として退職金を不支給とすることができる」(「新労働事件実務マニュアル第6版」(東京弁護士会労働法制特別委員会編著、ぎょうせい)P283)とし、一方、「ただし、懲戒事由の具体的な内容や労働者の雇用企業への貢献の度合いを考慮して退職金の全部又は一部の不支給が信義誠実の原則に照らして許されないと評価される場合には、全部又は一部を不支給とすることは裁量権の濫用となり許されない」(同)としています。
 このみずほ銀行事件の判断基準の枠組みの前段は、バックボーンは違いますが、本事案における行政庁の裁量論と同じ考え方です。しかし、一方、裁量権の行使と懲戒事由の具体的内容や雇用企業への貢献度を比較考慮し、信義誠実の原則に照らし合わせ、退職金の全額又は一部を不支給を判断するという建付けになっています。もっと簡単に表現するならば、裁量権の行使と懲戒事由の内容・態様及び雇用企業への貢献度(裏を返せば、決定的な背信的行為がなかったこと)とのバランスと取ると言えるのではないでしょうか。

決め手は、信義則

 労働契約を結び従業員となると、会社と従業員との間では信義則に従う義務が発生します(労働契約法第3条第4項)。
 従業員はこの信義則に従い、会社との信頼関係を維持し、背信的な行為を行わず、会社の利益を侵害する等の行なわない義務を負うことになります。

 全額不支給等を認めなかった判例の多くは、退職金の賃金後払い的性格を起点とし、労働者のそれまでの勤続の功労を全て抹消(全額不支給の場合)ないし減殺(一部不支給の場合)してしまうほどの著しく信義に反する行為があった場合に限定するという考え方です。

 全額不支給等を認めた判例の多くは、企業への背信的行為(情報漏洩、手当の不正受給)があったり、その行為の常習性に着目しており、信義則の観点からも、これに反する行為、態様が見られます。

 また、この信義則についても、何が背信的な行為かは、職制や地位、職務の内容により差異が生じるかと思います。この記事では、簡単にしか触れませんが、競業避止・秘密保持義務違反の規定を設ける会社の場合、その多くが退職金の不支給・減額の規定を併せ置くことも少なくないと思います。
 「競業避止義務違反による退職金の不支給・減額が問題となった裁判例の多くは、規定自体については有効であることを前提として、当該事案における退職金不支給・減額の当否について、規定の合理性や労働者の行為に著しい背信性があったかどうかを検討して、判断している」((「新労働事件実務マニュアル第6版」(東京弁護士会労働法制特別委員会編著、ぎょうせい)P113)とされているところ。
 競業避止・秘密保持義務違反の規定を設ける会社の場合、より高度な信義則の保持が要求されることになると言えるのだと思います。この点については、本事案においても、公務員という特殊性があり、裁量権の行使と懲戒事由の内容・態様(業務の性質)及び公務の信頼性及び社会への影響を比較考量し、より高度な信義則が課せられたと擬制的に評価できるかもしれません(尤も、地方公務員への労働契約法の適用はありませんが)。

まとめ

 労働基準法の地方公務員への適用は、地方公務員の現業職員(地方公営企業等の職員)には、労働基準法が原則として適用されます。ただし、地方公務員法第58条第3項により、一部の労働基準法規定は適用除外となっています。この点について、本事案との絡みで論述すると長くなるので、本記事では言及しませんが、今回の事案により退職金が全額不支給となったのはいわゆる現業職員です。

 ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)、「高貴な者はそれ相応の責任を負う」という意味のフランス語です。財力や権力、社会的地位を持つ者は、それに見合った社会的責任や義務を果たすべきだという考え方です。

 現業職員の方がこの社会的地位を持つ者になるかは、それぞれの人の考え方次第です。しかし、今回の事案については、法律的なロジックは正しかったかもしれませんが、”行政庁の裁量”という側面が強調されたような判決になったと個人的に感じています。

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この記事を書いた人

勤務特定社労士。左記国家資格以外に、BSA(事業承継アドバイザー、一般社団法人金融検定協会認定)、TAA(事業再生アドバイザー、一般社団法人金融検定協会認定)、事業承継・M&Aエキスパート(一般財団法人金融財政事情研究会)の認定資格を取得。現在は、上記いずれの資格とは、直接には関係のない公的年金関係の団体に従事する勤め人です。保有資格に関連する実務経験はありませんが、折角、保有している資格を活かしたく、個別労働関係紛争に関する事項、労働法務デューデリジェンス、中小企業の事業再生や事業承継M&A、経営者保証問題について、中小企業庁が公表している各種ガイドライン、M&A関連書籍等及びセミナー等を通じて、自己研鑽・研究しています。現在(令和6年)、58歳。役職定年間近の初老の職業人です。

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